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砂男、眠り男──カリガリ博士の真実

三 同性愛映画?

しかしこの場合でも、隠蔽記憶こそ、われわれが知ることのできる最初の記憶である。それを作り上げた記憶痕跡の素材が、もともとどんな形をしていたかは、われわれには分からずじまいなのである。
フロイト「隠蔽記憶について」

プロパガンダ映画

『カリガリ博士』に先立つ1919年に公開された、チェザーレ役のコンラート・ファイト主演の映画がある。初上映時、性科学者のマグヌス・ヒルシュフェルト博士は次のように挨拶した。

今日、あなたがたの目と魂に提示される問題は、まことに重要かつ困難なものです。取り除かれるべき無知と偏見が生半可ではないゆえに困難なのであります。これらの人々をいわれのない不名誉から解放するだけでなく、魔女狩りとか、無神論者や異教徒への迫害のような、歴史上の非道に匹敵する司法の誤りから、この社会をも解放しなければならないゆえに重要であります。加えて、「他の人とは違って」生まれてくる人々の数は、大多数の親が知るよりも、また知りたいと思うよりもはるかに多いのです。私にはわかっています、知性の武器を使って人類の進歩のために戦うことを望む者なら誰でも、攻撃と敵対に打ち勝たねばならないということが。印刷機の発明後、自分の思想を文字にした最初の学者たちもまた、暴力をもって攻撃されました。しかし、そうしたこともさしたる問題ではありません。今日はじめてあなたがたが目にしようとしている映画は、蒙昧を終らせるのに役立つことでしょう。科学が誤謬に、正義が不正に、人類愛が人間の憎悪と無知に打ち勝つ日が、まもなくやって来るでしょう。

これは『セルロイド・クローゼット』にあるヴィト・ルッソの引用から写したものだ。「戦前のベルリンで花開いた性的啓蒙の時代」が生んだ、ヒルシュフェルト率いる「最初のゲイ解放運動」について、ルッソは次のように書いている。

博士の「性科学研究所」は、男性間の同性愛行動を違法とした反ゲイ法「第175条」に対する戦いの中心であった。この時代はまた、同性愛を初めて公然と問題にする、そしてゲイ解放運動の多くの課題の萌芽を含んだ、最初の映画を生み出しもした。1919年に公開されたリヒャルト・オスヴァルト監督、コンラート・ファイト主演の『他の人たちとは違って』は、「第三の性」と名づけられたものに対する寛容を公然と求めている。

ルッソの記述からもわかるように、この時代を、クラカウアーがそう思わせたがっているような、ヒトラー出現の予兆に満ちた暗い抑圧された不安な時代と一概に呼ぶことはできない。むしろそれは帝政が終った後の新しい自由な時代であり、戦前(第一次大戦前)から、いや、前世紀から「科学人道委員会」を作って活動していたヒルシュフェルトも、だからこそこの時期(『カリガリ』が作られたのと同じ1919年)、「性科学研究所」を設立することができたのである。あとで引くようにこの映画についての感想を書き残しているクリストファー・イシャウッドや、W・H・オーデン、スティーヴン・スペンダーといった英国人にとって、「ベルリンはホモセクシャルの解放区のように見えた」(海野弘『ホモセクシャルの世界史』)。「ベルリンはホモセクシャルの自由を解放するとともに、一九ニ八年から一九三二年までの間に、英国の若い芸術家たちがベルリンに出かけ、政治に目覚め、労働者階級と連帯しようとした」(同)。『カリガリ博士』が作られたのはこれに先立つ、ヒトラーの影などまだどこにも差さぬ時期であった。だが、先の引用にもある通り、ドイツにおいて男性同性愛が刑法で罰せられる犯罪であったことも事実である(刑法175条は1871年に規定されて、実に東西ドイツ統一後の1994年に至るまで――実際の運用はともかく――存続した)。ファイト演じるヴァイオリニストは結局自殺するのだが、ルッソは彼を、その後映画の中で同じように同性愛者であるために死んだ者たちの點鬼簿に載せ、実際、ファイトの演じた役はスクリーンに登場した最初の同性愛者とされている。

「第三の性」という言葉に象徴されるように、ヒルシュフェルトの主張は同性愛者を一つの種族として認めよというものだった。イヴ・コゾフスキー・セジウィックの分類に従えば、同性愛の「マイノリティ化」(「普遍化」ではなしに)である。こう言っただけで、「生得説」とか「本質主義」とか「生物学的要因」とかいう言葉がいちどきに群らがり寄ってくることになる。その場合に生じる問題も、萌芽としてであれ、すでにこの時に出そろっているようだ。「第三の性」を「中間形態」と呼んだことでもわかるように、ヒルシュフェルトが想定した「同性愛者」とは男女の中間的存在であった。男であれば女性的、女であれば男性的ということになるが、実のところ、こうした言説の女性への適用は、男女の非対称性を隠蔽するものであり、ユングの「アニマ」「アニムス」概念と同種の眉唾である。「男性の身体に閉じ込められた女性の魂」というカール・ハインリヒ・ウルリクスの自己規定も、ヒルシュフェルトの「中間形態」も、それが前提とする“女性性”の本質化は、生物学的女性にとっては、女という身分の強化――よりいっそうそこに繋ぎとめられること――をしか意味しない。自分は完全に男だと主張して女性性を外在化するのも、自らのうちなる女性性をうっとり愛撫するのも、ともに男の特権であって、女にはこれに相当するものはない。

周知の通り、「科学が誤りに、正義が不正に、人類愛が人間の憎悪と無知に打ち勝つ日」の代りに、「まもなく」(1933年)やって来たのはナチス政権であった。同性愛者の「人種化」は、そのまま差別と排斥の理由になりえた。付け加えるなら、これは、ユダヤ人だけでなく同性愛者もまた収容所に送られたということではない。もともとユダヤ人は女性性及び同性愛と分かち難い観念連合の中にあったのである。
 言うまでもなく、ナチスの政権掌握が映画界に与えた影響ははかり知れない。『カリガリ博士』の脚本の(その程度は不明ながら)事実上の作者だったかもしれないフリッツ・ラングはアメリカに渡り、そこで撮った『死刑執行人もまた死す』には、『カリガリ』でアランを演じたハンス・ハインリヒ・フォン・トワルドフスキーが敵役のナチス将校役で出ているし、妻がユダヤ人だったファイトも、亡命して英米の映画(『カサブランカ』ではナチスの少佐としてボギーに射殺される)に出演した。『カリガリ博士』の評価にもそれは影響を及ぼすことになった。『カリガリ』は『他の人たちとは違って』のようにフィルムを焼却されるような憂き目は見なかったにしても、戦後になってクラカウアーの妄説に利用されることになったのである。

『他の人たちとは違って』は、本質的には、麻薬中毒や売春について社会に訴えたり、妊娠中絶の権利を主張するといった、同時代の「啓蒙映画」のジャンルに属する作品であったようだ。「オスヴァルトの映画は、当時の、妊娠中絶、近親姦、性教育、性病を扱った映画と同様、プロパガンダの手法を用いており、ヒルシュフェルト自身も専門家として登場する」とルッソは言う。劇場だけでなく、映画の中でもヒルシュフェルトはスピーチした。イシャウッドの『クリストファーとその仲間たち』には、作家が実際に見たこの映画についての記述があり、ルッソはその一節を紹介している。

三つのシーンを覚えている。一つはダンス・パーティーで、踊っているのは全員男性、きちんと服を着て立っているが、そのまま数珠つなぎになって性交しそうな感じである。コンラート・ファイト演じる登場人物が、自分を誘惑し、破滅させることになる恐喝者にここで出会う。二つ目のシーンはファイトの見る幻で、王たち、詩人たち、科学者たち、哲学者たち、その他ホモフォビアの名だたる犠牲者の長い列が悲しげに頭を垂れてゆっくりと進む。ヒルシュフェルト博士本人が姿を見せる。自殺したファイトの遺体が背景に横たわっていたと思うが、ヒルシュフェルトが「第三の性」に対する寛容を求める演説(つまり、字幕が出る)をする。

『他の人たちとは違って』は、現在では、発見された一部のフィルムから復元されたものがDVDになっていて、抜粋をYouTubeで見ることができた。一見して驚くのは(『セルロイド・クローゼット』に載ったスチール写真で見ていたとはいえ)、コンラート・ファイトの、『カリガリ』と同時期とはとても思えない老け方とやつれ方だ。社会的犠牲者としての同性愛者を描こうとしての演出ででもあるのだろうか、骸骨のように頬骨が浮き出して見え、最後の方は眼をギラギラさせ憔悴しきった芥川という感じで、自殺するまでもなく肺病か何かで息を引き取りそうである。著名なヴァイオリニストである彼に憧れて個人教授を受け、恋人になる若者も、どうしてこの男優を選んだのか首をひねらざるを得なかった(『カリガリ博士』において、主要な役を演じた俳優が、どれもこれ以外にはないと思われるのと対照的だ)。同性愛者をどうしても美しく描かなければならないという訳ではもちろんないが、同時代の映画で男女の恋人なら間違いなく美男美女に決まっているのに、彼らの恋愛を魅力的に見せる気が製作者になかったようなのは、要するに政治的な正しさとステレオタイプな説明以上のものを作る意図も手腕も持ちあわせなかったということだろうか[☆17]。

横たわる男と椅子

試みに、自殺したヴァイオリニストの遺体が背景に横たわっていたという先のシーンを、同様に「ファイトの遺体」を横たわらせての『カリガリ』の終りに近い一場面と、さらに、その変奏である二つのシーンと較べてみよう。ジェーンを攫う〈怪物〉のメーキャップを取ったファイトは、いずれのシーンでも美しい寝顔を見せている。

(一)運び込まれた担架の毛布をフランシスが剥ぎ取り、チェザーレの死体を院長に見せると、院長は驚愕の表情を浮かべて震えながら歩み寄り、チェザーレの死体に取りすがる。しかし、やがてゆっくりと顔を上げて、そばにいた医者の一人につかみかかり、取り押えられて拘束服を着せられる。フランシス一人が離れて立っているが、なおも暴れるカリガリと揉み合いながら全員が院長室の外へ移動してしまったので、手を差し伸べながら後を追い、チェザーレの死体だけが残される。この間、カメラは固定されたままで、チェザーレも(死体であるから当然だが)動かず、画面の手前に顏を向けたまま安らかな表情をしている。
(二)(一)は、チェザーレを手に入れた院長が、医師たちを部屋の外に追いやると、全身で押え切れない喜びをあらわし、笑みを浮かべながらチェザーレの首に腕を回し、胸に頬をよせたりするシーンである(二)に先行されている。院長はいったん机の方に駆け寄って、本を取り上げ、ページを繰りながら、ページとチェザーレの顔を交互に眺め、最後には本を二つに引き裂いて、もう一度チェザーレの頬をなでるようにして顔を抱える。チェザーレは車椅子のようなものに乗せられており、やはり人形のように安らかに目を閉じたまま動かない。
(三)フランシスが取り押えられ、回想(妄想)の中で「カリガリ博士」が連れて行かれたのと同じ隔離室に入れられると、院長は「カリガリ博士」がかけていたのと同じメガネを取り出して、フランシスを診察する[☆18]。フランシスは目を見張って院長の顏を注視し、脅えているようだが、「カリガリ博士」がチェザーレにしていたように、額や頬に触っていたわるように検分するうち、徐々に落ち着きを取り戻す(最後まで暴れていたカリガリとは対照的だ)。院長がそっと彼を横たわらせると、フランシスは目を閉じて眠りにつく。

ここまで“描かれて”いても、名づけられていなければわからなかったのである。『カリガリ博士』より『他の人たちとは違って』の方が公開は早かったかもしれないが、『カリガリ博士』は、少なくとも、“啓蒙”というエクスキューズ抜きのものとしては、「世界初の同性愛映画」であったと言えよう。『セルロイド・クローゼット』も、人目を騙しおおせた例としてこの映画を入れる(そしてチェザーレに扮したファイトの美しい写真を――別人のようなヴァイオニリスト役のではなく――載せる)べきであった。
 それでも、本当に製作側にそのような意識があったのかと、なおも疑う人があるかもしれない。それならば、明らかに作者によって置かれたはっきりした手がかりをお教えしよう。上記(一)のシーンにそれは見出される。

(一)でチェザーレの遺体はスクリーンの下方に、頭を右に、顏を観客に向けて、台の上に横たわっている(台の頭の方がゆるやかに高くなっており、寝心地はよさそうである)。そして彼の後ろの右方に、背もたれの高い椅子がある。実は彼の遺体は、前にアランの部屋で、フランシスに帽子を取り落させながら、私たちには見せられなかった遺体の代りにそこにあるのだ。
あの時、アランのベッドの傍に置かれていた椅子を覚えておいでだろうか。後方に見えているのはあれと同じ椅子である(一輪挿しは無いが)。なんでアランの椅子が院長室に? この椅子は最初にアランが紹介された時にも、画面手前に大きく映っており(本を読みながらアランはその背もたれに腕を乗せたが、腰掛けはしなかった)、アランが本を置いて歩み寄る窓の下の机の前にも同じものがもう一脚あった。アランが殺されるシーンにも、翌朝フランシスが駆けつけた時にもあった、いわばアランの換喩である。後方では医師たちがカリガリを取り押えようとしているので観客の目はそこに集中するだろうが、この椅子は背景で起きていることに劣らず重要だ。回想の最初でアランが室内を歩き回っていた時も、私たちは当然のことながら紹介された彼ばかり見ていたが、固定されたキャメラは最初から最後まで(左手にアランが消えた後もしばらく)椅子を見つめていたのである。

折から――フランシスひとりが騒ぎを傍観する中――この椅子が、争っている男たちが接触したはずみにガタンと動く。それまでも院長室がスクリーンに収まる際、つねにこの椅子は映っていた。院長の机を中央に、骨格標本が左に立ち、椅子は右に立っていた。誰もそこに掛けたりはせず、客に勧める椅子とも思えず、オブジェか何かのようだった(それでも骨格標本の方が目立つし、傍には中から本や日記が見つかるキャビネットもあるから、当然、観客の注意はそちらに向かうだろう)。ストーリーからは外れて、それでも確かに存在した。染みのように視野の一部を占めていた。しかし、観客の視線はそれを通り抜けてしまっていた。
 椅子が動いたのは、明らかに作者から観客への目配せである。ここに椅子があると。前にこれをどこで見たか思い出せと。

フランシスは思い出せない。目の前で起こっていることが他人事(ひとごと)としてしか感じられない。本来彼は、ここでカリガリに感情移入してしかるべきだったのである。愛の対象に死なれ、その遺体を目のあたりにしたカリガリに。それはかつてアランの部屋で起こったことの再現であったのだから。しかし彼は、自分の見ているものから解離しており――見世物小屋での予言の場面が強い情動を帯びていたのと対照的に――映画を見る人のように身じろぎもせず、何も感じることができない。愛する者の死によって錯乱し、取り押えられ、拘束衣を着せられて、連れて行かれるのは彼自身でもあったのに。ここまで熱心にカリガリを追ってきた彼は、その主張が全面的に認められて医師たちがカリガリを捕えようと奮闘するこの時、ひとり手出しをせずに見つめている。私は狂人ではない。院長が狂人なのだ。このあとフランシスは空しくそう主張することになるだろう。カリガリをようやく取り押えた男たちがもつれるようにして行ってしまうと、フランシスはしばしチェザーレと二人きりになる。
 その時になって、ようやく彼は引き止めようとするかに手を伸ばし、彼らのあとを追う。

愛の対象を失った者としてフランシスはカリガリであり、チェザーレはアランである。そしてフランシスはチェザーレでもある。チェザーレはフランシスの分身であり、ナタナエルにとってのオリンピアであるからだ(だが、オリンピアの喜劇的かつ残酷な“死”と、この美しい死体の静謐さの隔たりは大きい)。ナタナエルと違って、フランシスは、自分がそこに死んで横たわっていることを知らない。だが、やがて、カリガリに替わって彼自身が拘束衣を着せられて横たわる時、彼はチェザーレに――“眠り男”に――なるだろう。受動性そのものとなり、人形のように愛撫されながら目を閉じるだろう。

アランの遺体は画面には映らなかった。フランシスと彼の場合には、その“意味”が隠されていたからである。カリガリとチェザーレの場合へ置き換えられて、隠された意味は文字通り目に見えるものとなり、フランシスがアランの部屋で見た血まみれの遺体でも、ナタナエルが見た無残に壊された人形としての彼自身でもない、欠けるところなき美しい人形として横たわる。同様に愛する者を失くした男が遺体の傍で嘆く構図とは言い条、『他の人たちと違って』の社会的偏見の哀れな犠牲者を示して寛大さと科学的認識を懇願するという憐れむべき単純さは、『カリガリ博士』の一シーンの持つ意味の重層性と豊かさに及ぶべくもない。

フランシスの狂気の原因はアランの死であった。そのことは直接的には明かされなかったが、チェザーレの死を知ったカリガリが直ちに狂気に陥ることで、見間違いようもなく示された。この後に控えるどんでん返しに先駆けて、単なるどんでん返し以上に手の込んだ仕掛けがここにはある。『カリガリ博士』なら見たという方ももう一度見直してみて頂きたい。九十年経ってもなお、椅子がひそやかな合図を送ってよこすのが見られるはずである。

一度も存在しなかった過去

クラカウアーは近年ようやく否定的に扱われるようになったらしいが、脚本家の一人であるヤノヴィッツの愚にもつかない内輪話を、「このように私は、今まで知られないでいた真の内幕話の上に『カリガリ博士』に対する私の解釈を基礎づけることができるのである」と得々と引用するような男が主張した、「集団心理学」なるものに目を曇らされてきた人たちに同情する気にはなれない。この著者は、スクリーンにあらわれているものを見るよりも、自分で勝手に(では実はなく、時代のドクサに合わせて)作った筋書きに映画をあてはめることに熱心だった。クラカウアーの“『カリガリ』はヒトラーの予兆だった”説は、早い話が、発表時点に近い過去の重要な政治的歴史的事件――第二次世界大戦やナチスの支配――についての「政治的に正しく見える意見」を、それ以前の作品にアナクロニックに投影したものである☆19]。

『カリガリ博士』の脚本家としてクレジットされているハンス・ヤノヴィッツとカール・マイヤーの最初の構想と称して、現行のストーリーから最初と最後を省いただけの、つまり院長が殺人者のカリガリと同一人物である狂人と判明して監禁されるまでのあらすじを紹介した後で、クラカウアーは、「E・T・A・ホフマンの精神をうけついだこの恐怖物語は、明らかに革命的なストーリーであった」と脚本家たちを賞賛し、最初予定されていたラングに替わって監督になったヴィーネがプロローグとエピローグを加えて回想形式にしたせいで、オリジナル脚本の革命性が失われたと非難している。「オリジナル・ストーリーが権威の本質的な狂気を暴露したのに対して、ヴィーネの『カリガリ博士』は、権威を讃美し、その狂気の反対者を罪に陥し入れていた。革命的な意味をもった映画は、このようにして従来の型にはまった映画となってしまった――正常だがやっかいな個人を気が狂っていると宣告し、精神病院に送りこんでしまうという使い古された型に従いながら。」

「革命」という語は、その後、価値をすっかり下落させてしまったが(「心の東京革命」という気持ち悪い言葉があるくらいだ)、政治犯を精神病院に送り込むというのは今でもありうることだ。だが、ヴィーネが「権威を讃美し」ているとまで言われると、誰でも首をかしげるのではないか。しかも、それが、「商業主義映画」が「大衆の欲望に応えることを要請されている」ことにヴィーネが「本能的に服従」したためであるとか(最初の脚本がつまらなかっただけだろう)、変更前の脚本は「インテリの特徴的な感情を表現して」いたのに、変更後は、「インテリよりも教養の低い者たちが感じたり好んでいるものと調和をとることを想定した映画にすぎなくなっていた」とか(クラカウアーの頭には調和しなかったとみえる――複雑すぎて)、「たとえ、『カリガリ博士』が従来の形式にとらわれた映画になってしまったにせよ、この作品は、革命的な意味をもつストーリー――ある狂人の空想として――を保存し、強調していた」とか、オリジナル・ストーリーを回想形式という「一つの箱の中へ入れることによって」、大戦後のドイツ人一般の外界からの「引きこもりをより忠実に反映」させることになったとか、「ドイツ人は革命的な行動から遠ざかってしまった。しかも同時に、心理的革命は、集合的魂の奥底で準備されたように思われる。映画は、カリガリの権威が勝利を収めた現実を、同じ権威が打倒された幻覚と一緒にすることによって、ドイツ人の生活の二面性を反映している」とか言われては、訳の生硬さは別にしても、どうやらこれは映画の冒頭でフランシスに語りかけていた老人の話に劣らぬたわごとではないかと思えてこよう。

しかし、語るに落ちるクラカウアーの供述からは、彼の思惑を越えた別の情報が読み取れる。ヤノヴィッツが、実際に起こったレイプ殺人から想像をたくましくしたこと(ハンブルクの「市」で目をつけた若い女を追って夜の公園へ行き、その女が茂みへ男を誘い込むのを見たが、男が立ち去るのと入れ替わりに茂みに隠れていた別な人影が現われて闇に消えた。翌日新聞で事件を知って被害者は彼女ではないかと思って葬儀に行くと、件の人影と思われる男も来ており「彼は突然、まだ逮捕されていない殺人犯人を発見したような気がした」――と、ほとんど妄想である)、マイヤーが、戦争中、精神状態を疑われ、治療を受けさせられたために、軍医(精神分析医であったという)を憎んでいたこと。最初の脚本は、全く共通点のないこの二つの体験談を政治的な主張でつなぎ合わせた、およそ洗練を欠いた生な願望充足と自己正当化から成っていたとおぼしいことが見えてくるのだ。

むろん、ヤノヴィッツの話――それを普遍化するだけの腕が脚本家になければ、個人的な性的妄想としか言いようがない――が、専制君主がどうしたというクラカウアーの主張に使える訳がない。だから彼は、権威への叛逆という政治的な主張に利用できるマイヤーの体験と脚本との関連を強調し、ヤノヴィッツの話については事実を記すだけですませている。一方、マイヤーの個人的動機の方は、「このストーリーの革命的な意味は、カリガリが精神病医であることを暴露するラストにおいて、まぎれもなく明らかにされている。すなわち、理性が無分別な力に打ち勝ち、気狂いじみた権威は象徴的に廃止されるのである」と、最大限に持ち上げられる。クラカウアーは最初と最後を除いた中間部分がそのままオリジナル脚本だったと言っているが、この点は実際に映画を見れば誰でも疑問に思うだろう。精神病院での「現在」の部分は単純につけかえのきくようなものではなく、フランシスの妄想と分かち難く結びついているのだから。

元の脚本が枠物語でなかったという主張も事実とは異なることが今日では判明している。クラカウアーの主張を無批判に繰り返す田中雄次もこれについては詳細に報告している――「ベルリンのドイッチェ・キネマテークが買い上げたW. クラウスの遺品のオリジナル脚本のタイプ原稿によると、ヤノウィッツ、マイアーの草稿でも、〈枠組み〉が構想されていたことがうかがえる。冒頭に登場するのは、田舎の屋敷に住む裕福なフランシス博士である。彼は友人たちとパンチを飲みながら、20年前に自分が巻き込まれたカリガリと夢遊病者の物語を語る。話を聞く人たちの中には、いまはフランシスと結ばれ、幸せな結婚生活を送るジェーンの姿もある。この移動市にやってきたジプシーたちを見たことから呼びおこされる物語は、前後の挿話を現在の時制にし、〈内側の部分〉を叙事的な過去時制で表現しており、そこには実際の映画に見るような現実と非現実との間の曖昧さといったものはない。草稿はまた、カリガリの同情的な弟子を登場させ、カリガリは精神の錯乱した、憐れむべき悲劇的な科学者であったことを観客に見せようともしている」。

この単純で葛藤のない勧善懲悪的筋書きと、語り手のアイデンティティを脅やかすことなどあるはずもない安定したパースペクティヴを持つ語りから、現在のフィルムに見られる、複雑な構成と錯綜した分身関係が生まれたとはとても思えない。「E・T・A・ホフマンの精神をうけついだ」というなら、完成したフィルムこそがまさにそうなのであり(クラカウアーに『砂男』との類似などわかる訳がないが)、最初の脚本にそうした要素は全くなかったのである。こうした事実から判明するのは、外枠部分は、無かったものが付け加えられたのではなく、内側の物語と巧みに関連づけて書き替えられたのであり、ヴィーネかラングかはわからないが、それだけで(フランシスとジェーンの結婚生活のように凡庸で退屈だったと思われる)内側の物語が救われるほどの、手だれによる改稿だったということだ。フリッツ・ラングの研究書で明石正紀は「ラングがやったのは少々手を加えてわかりやすくしたといった程度だとの説もある」と書いているが、「少々手を加えて」ここまでになることもあるということだ。準備期間がそうあったはずはないのに、ここまで素晴しい作品に仕上がったことには驚かされる。

ヤノヴィッツの見聞きした猟奇的事件の記憶は、ジェーンの寝室に忍び寄るチェザーレに遠いこだまを響かせているのであろう。彼が被害者(?)の女性に目をつけたのは「ハンブルクの定期市」であり、事件は「ホルステンヴァル」で起こった。ベルリンで彼とマイヤーはしばしば天幕の並ぶ「定期市」に足を向け、ある夜、「あたかも催眠術をかけられているかのごとく演じて」いる「力持ちの男」が、「意味ありげな予言者のように、固唾をのんで見守る観客を感動させてしまう話しぶりで、すばらしい芸をやってのける」のを見たという。カリガリがマイヤーの仇敵の軍医であることも、チェザーレが「力持ちの男」から出発したことも、さして不思議な話ではない。ボヴァリー夫人もそもそもは田舎医者の妻の自殺を報じる三面記事であった。「カリガリ」という名はヤノヴィッツがスタンダールの本から見つけ出した。

こうした話が私たちの興味を引くのは、誰かの手の中で石ころが、あるとき魔法のように宝石に変えられたればこそである。二人の脚本家の最初のアイディアが貴重だからではなく、その逆である。私たちが本稿で考察してきた、主人公の妄想の起源にあったと想定される出来事は、脚本家たちの経験から生まれたものではなく、そもそもオリジナル・ストーリーが書かれた時点では存在しなかった。オリジナル・ストーリーにあったのは退屈な回想だったとしても、「信用できない語り手」による妄想ではなかった。起源の出来事はラングとヴィーネの手が加わることでいわば「事後的に」構築されたのであり、功なり名遂げた中年男が得々と語る思い出話だった「オリジナル・ストーリー」が、一度も存在したことのない過去の再演に作りかえられたのだ。

自分は「子種をうえつけた父親で、マイヤーはそれを宿し、育て上げた母親である」とヤノヴィッツが言っているとクラカウアーは書いているが、このヘテロセクシュアルな再生産の比喩が醜悪なのは、彼らが、異質な血を排除して、彼らの意図に忠実な、自分にそっくりな真正の子供であることを作品に要求しているからだ。彼らの脚本に対してヴィーネが提示した変更に、二人は「激しく抗議した」という。だがそれは、彼らの意図から切断され、思いがけないものと結びつき、フレームの外との関係によって意味づけをすっかり変えられることによってのみ、彼らの下品さの再生産からまぬかれた傑作たりえたのである[☆20]。そこに働いているのは、クラカウアーが言うような「ドイツ人の集団的魂」や「民衆の生活のゆっくりと動いている基礎から生じ、時には真のヴィジョンを生じさせるあの暗い衝動」などでは断じてない。(やはりクラカウアーの世迷い言は、『カリガリ』の冒頭で例の患者が“われわれを取り巻いている霊”について話しているのに近いようだ。)彼の作る寓話には、「専制君主」「専制君主に反抗する告発者」「専制君主に操られる民衆」という、三通りのキャラクターしか存在しない。彼はそれを『カリガリ博士』に適用するという恥知らずなこじつけをやってのけたのである。

クラカウアーとヒルシュフェルト

同時代との関連を言うなら、たとえば「催眠術」や「夢遊病」が一般にどう受け取られていたかをクラカウアーは問題にすべきであったろう。映画の中に現われるそれらは、人々が抱いていたイメージの引用であるのだから。いやしくも「ホフマンの精神を受け継いだ」と言うなら、彼はまず『カリガリ博士』がホフマンのどの作品とどのように似ており、ホフマンをどう変形しているかについて述べるべきであったろう。作品は過去の作品から作られるのであり、作家の個人的動機もそれと同列の引用対象に過ぎないのだから。むろん、そんなことがクラカウアーにできたはずはない。能力の問題もあるが、それ以上に、彼にとっては政治的に価値があるかどうかが全てだからだ。作者の意図が立派であれば誉め称えるに足ると思っているのだが、あいにく、そんなものは、(幸いにして)複数の「作者たち」の手さばきの中に消え去ってしまった。クラカウアーはそれを非難するが、それは、彼が革命的な政治的意図(それ自体多分に思い込みの)に固執するばかりで、出来上がった映画を見ようとしないからだ。

彼のターゲットは『カリガリ』ばかりではなかったから、ムルナウの吸血鬼、世界ではじめて陽に曝されて塵と化したノスフェラトゥまでが、「血に飢え、血を吸う、専制君主の映像」呼ばわりされている。クラカウアーのような男は、〈父〉と聞けば自動的に「反抗」という言葉が浮かび、病院長は狂気の専制君主の象徴で、打倒のため雄々しく立ち上がるべきだと思っており(あるいは、そういう態度をとれば、ほめられ、受け入れられると知っており)、受動性を理解しない。彼はあまりにも男らしいので、フランシスがカリガリに愛されたいと思っているなどとは夢想だにしないのである。

クラカウアーの説は、同性愛はもちろん、およそ美的なことは何一つ理解できず、「この脚本家たちが取り憑かれた専制政治のテーマは、はじめから終りまでスクリーンにしみわたっている」と宣言する、自分こそ何かに取り憑かれ、政治的なものをタバコの(やに) のようにしみつかせた男性的批評家の営為であった。ヒルシュフェルトが同性愛と女性性及び芸術の関係に拘泥した訳も、クラカウアーを脇に置くと理解しやすくなるのではないか。しかし、実のところ、ヒルシュフェルトはクラカウアーを補完する存在なのである。政治的なものしか理解しない男らしい男がいてこそ、そこから自らを分かつ、男でありながら女性性とそれに結びついた芸術的資質を有する、彼ら「第三の性」が成り立つのであるから。一方、「男らしい男」にとっては、そうやって別種族と名乗ってくれるのは願ってもない話であり、そうした男女(おとこおんな)に(そして自らの抑圧した女性性に)それ以上わずらわされることも脅やかされることもなくなるだろう。

人は一般に、衝撃的な歴史的事件が起きると、それに合わせて「それ以前」の歴史の解釈を変えてしまうものである。ある意味、その状態は、次の衝撃的事件によって塗り替えられるまで続く(しかも、いったん変化が起こると、人々が以前にはそう信じていたという事実すら、すみやかに忘れられる)。しかし、過去の出来事はそれ以前の出来事の結果として起こったのであり、実証的な因果関係を無視して、現在そう主張するのが正しいと思われているものを無批判に投影してよいようなものではない。ヤノヴィッツは、彼とマイヤーは元のシナリオで「国家の権威が一般的な徴兵と宣戦布告の中にその万能ぶりを発揮することを非難した」と主張しているとクラカウアーは書いている。だが、クラカウアーも承知していたはずだが、ヤノヴィッツが言っているのは直前の最初の世界大戦についての話であり、マイヤーがひどい目にあった軍医同様、過去の怨みであっても予兆ではない。これは映画作者たちの営為とは似て非なる、存在しなかった過去の捏造というべきである。
 ちなみに「ナチスの予兆」とは、もっともらしさをかもし出すのに今なお便利に使われている符丁らしく、本稿を書きながら新聞の映画評にまさかの実例を見つけた。今年(2011年)封切られたあるドイツ映画を紹介しながら、「誰しもそこにナチス台頭の予兆を見るに違いない」とその評者は言うのである――物語は1913年、つまり第一次大戦前の設定であるのだが。

「それ以前」の事実について少々触れておきたい。帝政期末期には、オスカー・ワイルド裁判に匹敵するような同性愛スキャンダルであり、「ホモセクシュアリティ」という概念が広く知られるきっかけにもなったと言われる「オイレンブルク事件」が起こっている。同性愛の噂でヴィルへルム二世の宮廷は揺れ、皇帝の側近だったオイレンブルク侯爵とモルトケ伯爵は名誉棄損で告発者を訴えた。1908年、スキャンダルは政治的事件に発展し、オイレンブルクと性的関係を持ったという下層階級の証人の出現で、彼はついに失脚する(この展開もワイルドの場合に似る)。海野弘によれば、皇帝に平和政策をすすめていたオイレンブルクは政敵や外務省から狙われていたのであり、彼の影響がなくなったので政府は軍備を進め、戦争突入に至った――つまり、この同性愛スキャンダルは第一次世界大戦の一因にすらなったのである。
 この裁判の際、ヒルシュフェルトは証人として出廷し、「第三の性」としての同性愛者を擁護している。だが、彼の主張した、階級を横断する「ホモセクシュアル」概念は、彼が擁護したはずのオイレンブルクやモルトケからは理解すらされなかった。オイレンブルクについて海野は、「たとえ、若い兵士や農夫と遊んだとしても、それは二次的なもので、貴族としての本質にはまったく関係がない、というのだ。いかにも貴族らしい考えである」と書いている。自身がヴィルへルム二世と愛人関係にあったオイレンブルクにとって、そうした行為は、自らのアイデンティティに関わらない、また、特権として見逃されてしかるべき事柄だったのである。彼らはまたそのように考えることのできた最後の時代を生きた人々であった。ヒルシュフェルトは同性愛概念をも巻き込んだある種の「民主化」の申し子であったと言えよう。

今日ではヒルシュフェルトの主張のうち、「第三の性」のような“女性性”の実体化や、それと不可分の、同性愛と芸術的資質の関係を主張することは、「政治的に正しく」なくなったためにかえりみられなくなってしまった。しかし、本質化による同性愛擁護という形式自体は、脳や遺伝子その他へ鞍替えしながら今日まで続いている。それは(女性性や芸術といった)内実を伴わない空疎な形式であるが、「同性愛」と呼ばれるカテゴリーにはあくまで固執しながらその文化的意味を問わない(「異性愛」についても同様であるが)点において、たとえ生物学的でなくとも本質主義的である。

性科学対精神分析

もしもフロイトが同性愛についてヒルシュフェルトのように考えていたとしたら、私たちが本稿でかくもたびたびフロイトに言及することはなかっただろう。しばしば誤解されていることだが、フロイトの方法は全く還元主義的ではない。彼の同性愛理解は、ヒルシュフェルトのように同性愛と芸術的資質に関係があるというのとは全く違う意味において、必然的に文学や芸術にも関わるものであったため(そして、彼が教養とセンスと、人間に対すると同様、作品に対しても細部に向ける注意深い目を持っていたため)、今なお、性的なものと知的なものの結びつきを考える際の、基本的な、そして汲めども尽きぬ参照先なのである。それは作品に対して、隠された何かの表現だと決めつけるのではなく、たんにそれがどのように構成されているかを言うのである。フロイトは女性性を本質化しなかったように、芸術的資質の本質化もしなかった。夢も白昼夢も神経症も芸術も同じ構造を持つ以上、「病人」と「健常者」、「同性愛者」と「普通人」の区別が不可能なように、「芸術家」の人種化も不可能なのだ。しかし、フロイトの思想はそのポピュラリティにもかかわらず、二十世紀の続くあいだずっと誤解され続け、その通俗的理解は今なお終っていない。ヒルシュフェルトはといえば、もともと通俗的なのである。

ヒルシュフェルトの言う「科学的根拠」とは、文化的な意味を問うことなく「自然」に理由を求めるものであった。同性愛者という「他の人たちとは違って」いる種族として認めろという主張は、「他の人たち」、つまり「普通の人たち」とは何かを問わないため、波風を立てないですませられるので、以来、現在に至るまで、この形式は説明内容を入れ替えながら存続している。先に、ヒルシュフェルトのような同性愛者の「種族化」は、そのまま逆転してナチスによる迫害の理由になりえたと述べたが、これは彼らの主張がたまたま悪用されたというようなものではない。ナチスは、少なくとも彼らと同程度には、「民主的」であり「科学的」であったのである。誰でも犯しうる、ある場合は罪とされるものの身分によっては全く問題にならない「行為」から、階級を横断し、個人を超えたところで個体を規定する生物学的特質へ。ヒルシュフェルトが依拠したものは、実のところ、政治的主張が先にあってそれに見合う(偏見に満ちた)証拠固めをするナチスの優生学と同様、疑似科学であった。

ヒルシュフェルトはフロイトの同時代人であり、彼の著作に少なからずその名が引かれているのを今でも見ることができるが、それは参照のためであり(もはや実際には参照されないにしても)、必ずしも批判のためではない。しかし、ヒルシュフェルト的な人種化・属人化した「同性愛者」概念については、フロイトははっきりと反対の立場を取っている(彼らが間違っていることを知っている)。「レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期の記憶に関する一考察」(『著作集』3)に付けた註で、フロイトは、精神分析の研究が明らかにした「同性愛の理解のために疑問の余地なき二つの事実」として、第一に母親への固着を挙げ、そしてもう一つを次のように述べている。

第二の事実は、人は誰でも、もっとも正常な人間でさえも、同性愛的傾向を多少にかかわらず持っているものであって、生涯に一度ぐらいはそれを経験したことがあり、無意識裡にそれを保有しているか、あるいは精力的な反対態度を形成することによってそれから身を守っているかのどちらかである、という主張のうちに表明されている。これら二つの確認は「第三の性」として認められようとする同性愛者の要求をも、また先天的同性愛と後天的同性愛という、一見重要そうに見える区別をも無意味なものとして斥けてしまうのである。

フロイトは本文で、「これらの説明が同性愛の代弁者の公的な理論に真向から対立することは間違いない、しかしこれらの説明が、問題を決定的に解決するほどに包括的なものでないこともわかっている」とも言っている。彼は同性愛にただ一つの本質を認めはしなかった。それは、人が「異性愛者」になるのが自明のことだとは思っていなかったからであり、なぜ多くの人間が異性愛に向かうのかもまた、説明を必要とする事柄だと考えていたからだ[☆21]。「実際的な諸理由から同性愛と呼ばれているものは、種々さまざまの心理的・性的抑制の過程から生じてきたものであろうし、またわれわれの認識した経過は、単に多くの経過のうちのひとつにすぎず、単に「同性愛」のひとつの型にしかあてはまらない」(前出の註より。強調は引用者による)。

フロイトが「第一の事実」として挙げている、母親への性的固着から息子が同性愛になるという言説は、「ひとつの型」という限定つきであってさえ、現在では即座に強力な反発を引き起こそう(もっとも、その型に属するとフロイトが認定したレオナルドのケースについての考察の多くは、芸術的才能に乏しい――つまり大多数の――同性愛者にはあまり関係がないだろう。芸術家という人種はいないにしても才能の有無はある)。セクシュアリティが「種々さまざまの心理的・性的抑制の過程から生じてきた」というのは、特に同性愛に限らず、いわゆる正常な異性愛の場合についても言えよう。また、こうした議論は言うまでもなく男性についてのものである。以上の留保の上で、フロイトの見解が今なお古びていないのは、同性愛者の「マイノリティ化」に真向から反対するこの立場ゆえにだと言っておこう。 

ふたたび夜

『カリガリ博士』においては、いったい誰と誰が「同性愛者」なのか。アランを演じたトワルドフスキーはウィキペディア英語版の彼自身の項目によれば本当にhomosexualであり、そのためアメリカに亡命したというが、彼は自分の演じた役(佐藤春夫に言わせると「如何にも近代的な意志薄弱なデカダン」)の正体を知っていたのだろうか。クラカウアーのような人が信じたところでは、カリガリは恐しい父であり、専制君主であり、善良な庶民を操って殺人者にする催眠術師であり、ヒトラーを予告するものであった。しかし、私たちの発見したところでは、「カリガリ博士」はヒトラーどころか、もし(フランシスの妄想でなしに)実在すれば、ピンクの三角形をつけられて収容所送りにされたであろう側の人間である。

『ナチ娯楽映画の世界』の著者瀬川裕司は、戦後の西ドイツの知識人が、強迫的に(それが正しいことであり、社会的要請であったがゆえの)ナチスの否定に取り憑かれていて、ナチス時代に作られた大量の「娯楽映画」をプロパガンダと頭から決めつけてきた事実について論じており(それらの映画でさえ、単純にまた都合よく時代を「反映」したりはしない)、クラカウアーについても、「クラカウアー的な、最初期からのドイツ映画の全体がナチズム的なものを直截に志向していたとする〈呪われた映画史観〉」と言っている。クラカウアーもそのような“総懺悔”的「正しさ」の虜だったのだとしても、あの下らないおしゃべりが権威になってしまったというのはどうにも解せない(読まずに有難がられたのかもしれないが)。いずれにせよ、彼はスクリーンを見なかった。カリガリ博士が本当は何をしているのかを見なかった。そして、外から貼り付けたレッテルだけで理解するという点で、レッテルは違えど“クラカウアー”は掃いても捨て切れないほどいたし今でもいる[☆22]。

夢を分析するのにフロイトが使った用語「検閲」とは、見るからに時代がかった比喩のようであるが、実は「検閲」の本質は外部の権力を超えたところにある。というのも、芸術はラベリングを嫌うからで、そうでなければ詩人が修辞に身を削ることもなく、言葉と物は一対一対応になるだろう――しかし、言語とは比喩であること(類似物の類似物であること)を本質とし、その一点で詩作と夢の仕事は同じものなのだ。フランシスが実演してみせた、過去を歪曲しながら反復するというのは、実は作品の営為そのものである。フロイトは神経症やヒステリーの症状を芸術の戯画化と呼んだが、『カリガリ博士』は、いわば「普通人」フランシスのホモセクシュアルな夢を、芸術として描き出してみせたのだ。サラ・コフマンの『芸術の幼年期』の訳者は、「芸術の真理」に迫ろうとしたフロイトについて、「精神分析は、解釈するというより、構築するのであり、その言説はある意味で妄想の構築物と変わらない、ということをフロイトははっきりと語るようになるだろう」と述べている。「精神分析が芸術の本質を明かすというより、芸術が、精神分析的言説の本質的なありように光をあてるのである」(赤羽研三「訳者あとがき」)。『カリガリ博士』はこの意味で、精神分析の手法を取り入れたと称して単純な絵解きに終始する(方法的に『他の人たちと違って』と変わらない)凡百の映画とは異なる、真の「フロイト的映画」とも言えよう。

万人に理解させることを目論んで作られた“啓蒙”作品である『他の人たちとは違って』は「同性愛者」を「同性愛者」と呼び、その同語反復に疑問を持たなかったが、『カリガリ博士』はその言葉だけは使わないまま、伝達の道具であるよりはむしろ謎としての映像を繰り広げることになった。明快なスピーチに対する、イメージの必然的に多重決定的な意味作用。外部の権力から本物の検閲に遭って前者は破壊されたが、『カリガリ博士』は映画というメディアの特性を存分に利用しながら、“自己検閲”のメカニズムそのものを構造的に組み込んだ作品であった。したがって馬鹿には最初からわからず、外部からの検閲は基本的に成り立たない。

『カリガリ博士』の幕切れでフランシスが眠り込むのは、『ドグラ・マグラ』の最後で主人公がふたたび混迷に陥るようなものである。ただし、悪夢の無限ループの中にいる呉一郎と違って、フランシスは院長に「治す方法がわかった」と言われている(「わかったかな?」と院長は観客に向かって言っている)。フランシスはその眠りと夢からいつ覚めるのだろう? 彼の回想の中でただ一人本当に生き、本当に死んだ、アランの最期の真相は解明されることのないまま長い時が過ぎた。

「そのあいだに、ポルトガルのリスボン市が地震によって破壊され、七年戦争が過ぎ去り、皇帝フランシス一世が歿し、イエズス会が解散させられ、ポーランドが分割され、女帝マリア・テレジアが歿し……」とは、「ファルンの鉱山」の題でホフマンやフーゴー・フォン・ホフマンスタールも小説化した綺譚――スウェーデンのファルン銅山で「一人の若い坑夫が岩の割れ目に落ち、緑礬水のなかに漬ったまま、五十年後の一七一九年に事故当時そのままの、美しく若い屍体で発見されたという実在の事件」(種村季弘「鉱物の花嫁」)――を素材にしたヨーハン・ペーター・へーベルの「思いがけない再会」の一節(種村の引用による)であるが、これに倣えば、さしづめ、「そのあいだに、性科学研究所はナチスに破壊されて焚書に遭い、ヒルシュフェルトはドイツに帰国できないまま客死し、ナチスがオーストリアに侵攻してフロイトはロンドンに逃れ、『カリガリ博士』の関係者も多くが国外に出て、ベルリンは陥落し、第三帝国もヒトラーも終焉を迎え、ドイツは東西に分断され、ベルリンの壁が築かれ、トワルドフスキーはニューヨークで、ラングとファイトはロサンジェルスで歿し、『他の人たちとは違って』のフィルム断片が見つかって西ベルリンのゲイ映画祭で復元上映され、ソ連が崩壊し、冷戦は終り、ドイツは再統一され……」といったところであろうか。「地上では全てが時間に腐蝕されて変形して行く」(種村)。まことに如何なる小説家の想像力も及ばぬ転変である。「だが、地下の坑夫は微動だにせず、若い肉体に少しも毀損の痕をとどめずに、義眼のような眼を見開いて、全てから自由に、だが全てに接触を禁じられて、しかも全てを観ているのである」(同)。眠り男のガラスの眼、否、みずみずしい花のような目は、フィルムが映写機にかけられて単調な機械音が響くごとに、〈夜〉の中であまたたび開かれることを繰り返した。作者たちも日々も過ぎ去り、多くの記憶と多くの希望が滅び去ったあとまでも、一条の光にすら堪え得ぬ〈夜〉の中で唯一生きのびた物質がかたちづくるむなしい影は、意識の執拗な明るみに似て、理解する者のないまま意味を産出し続けた。

フィルムが破棄されようがされまいが、『他の人たちとは違って』は、その手法、その啓蒙、そのプロパガンダ、そのイデオロギーは、検閲を行なった権力ともども過去のものになってしまった。『カリガリ博士』はどうか。むろん、それは、揺らぐことのない一定の評価を受けてきたように見える。しかし、『カリガリ博士』の真実が私たちがここで論じてきたようなものであるとすれば、それは理解されることなく尊重されているのだ――骨董品のように。表現主義美術の成果に注目したり、文化的遺産として歴史の中に位置づけたりすることは、それ自体としては悪いことではない。しかし、『他の人たちとは違って』とは異なり、『カリガリ博士』は過ぎ去ってしまった訳ではない。世界の転変にもかかわらず作品は変わらなかった――それはなおもあまりにも現在なのである
 ヒルシュフェルトは科学的根拠なるものを示せば世界が変わると思っていた。だが、実のところ世界は、ヒルシュフェルトのように考える人々が今なお多数を占めているがゆえに変わらないのだ。それは、私たちがいまだに“クラカウアー”と“ヒルシュフェルト”が補完しあう図式のうちに生きているということでもある。『カリガリ博士』が理解されなかったのはけっして偶然ではない。それはフロイトがかくも長い無理解[☆23]の下にあることと軌を一にするものだ。『カリガリ博士』はついぞ本来の価値を見出されることがなかったのであり、その点は第二次大戦後、自我心理学としてアメリカで栄えることになったフロイト理論にとっても同様である。カリガリ博士の真実が見出され、真のテーマが見出される時、人はすでに「今」がその時はじまっていたことに、そしてかくも長い時を経ても世界が変わっていなかったことに気づくだろう。

☆17 本稿をほぼ書き上げてから、ウェブ上のグーグル・ビデオで“Anders als die Andern”の英語版“Different from the Others”(51分)が見られることを知った。失われた部分は字幕であらすじを補われており、想像を超えてプロパガンダ映画であった。興味のある方には一見をお勧めする。プロパガンダとしては全く古びていない。偏見の部分ではなく啓蒙の部分が今でも通用しそうだ(ほとんどカリカチュアである)。少々紹介を試みると、自分が他の人たちと違うことに悩んだファイトは最初に効果のない催眠療法を受け、次にヒルシュフェルト博士を訪ねて同性愛に問題はないのだと納得。両親から富裕な未亡人との縁談を勧められると、彼らをヒルシュフェルトのもとにやる。両親納得。若い恋人を得て、その妹からも恋されたファイトは慌てて彼女をヒルシュフェルトの講演会に行かせる。妹納得。そればかりか、忠実な友以上のものにはならずに献身することを誓う。しかし、彼が脅迫を受けている事実を知ったショックで恋人は失踪、バイト先で店主の娘に言い寄られ、拒むと逆に店主に告げ口されて失職(女は例の未亡人も含め性的な誘惑者か、天使のような良き協力者のどちらかという訳だ)。脅迫者が捕まって被害者のファイトも罪に問われる。ヒルシュフェルト出廷して擁護の演説をぶつが、ファイトは有罪判決の上、社会的に葬られて服毒。新聞でそれを知った恋人は遺体にすがって泣きくずれ、自分も死にたいと思うが、そこでヒルシュフェルトの御宣托がまた響く(つまり、字幕が出る。ここでイシャウッドの記憶のようにヒルシュフェルト登場なのにフィルムが失われているのか、それとも、それ以前のシーンと混同されているのかは不明)。残念ながら今回、こうした具体的内容を本稿に反映させることはできなかった。

☆18 クラカウアーはこのシーンについて、「院長が鼈甲縁の眼鏡をかけると、彼の容貌は一変してしまう。すなわち、疲れきったフランシスを診察しているのはカリガリであるように思えるのである」と書いているが、そのような事実はない。たんに院長が眼鏡をかけただけである。

☆19 ザビーネ・ハーケは「批評家たちは、ヴァイマル映画を前ファシズム映画とみなすクラカウアーの目的論的解釈に対して、その主張のいくらかを修正したり、問題視したりするような、数多くの歴史的研究によって反応してきた」として90年代以降の研究書を挙げ、「ヴァイマル映画を、戦後映画として規定される数多くの特徴を同時に考慮しないで、前ファシズム映画として記述するのはもはや不可能なのである」と述べているが、この程度では批判として生ぬるい上、批判対象の教条主義とセンスの無さをそのまま受け継いでいるようだ。

☆20 ベルリンでの公開から数年後、遥か極東でヴィーネのフィルムは、関係者のむろん知る由もない奇蹟的な出会いを遂げる。東京の銀座で杉山泰道という青年が『カリガリ博士』を見たのである。『ドグラ・マグラ』は『カリガリ』なしではありえなかったが、『カリガリ』は“思いがけないもの”と結びついて生まれたこの鬼子を絶対に予見できなかったであろう。フランシスは本当に父(たち)の操り人形になり、フランシスの見出す本と日記は、患者の手記と大量の「一件書類」に変わり、「再び現われる伝説のカリガリ」は先祖の記憶を甦らせる主人公となった。夢野久作が『カリガリ博士』を見て『ドグラ・マグラ』を書きはじめたとは、ほとんどありえないことが現実に起こってしまったのである。

☆21 「男性の関心がもっぱら女性にだけ向けられるということは解明を必要とする問題であり、化学的な牽引力がその根底をなしているというような自明のものではない」( 『著作集』5「性欲論三篇」註)

☆22 本稿を九分通り書き上げたところで、ウェブ上で『カリガリからヒトラーへ』を扱った近年の論文を見つけた。それによれば、クラカウアーらには以下のような“事情”があったという。「ここまで見てきたうち、原作からの改変に関しては、クラカウアーは個人的に参照することを許されたヤノヴィッツの手記をそのまま受け入れて論じている。しかし近年の研究によれば、ヤノヴィッツの記述は彼の革命性と功績を誇張し過ぎているという。具体的には、既に原作の時点で物語は映画とは違って形においてではあるが枠付けられていたこと、原作者たちも映画での変更を了承していたであろうことなどが、脚本や契約書から明らかにされている。ヤノヴィッツが「カリガリ博士」成立の経緯をこのように改変したのは,彼がクラカウアーと同じくアメリカへの亡命者であり,自分の政治的正しさや能力を証明する必要があったからであろう」(荻野雄「クラカウアーの『カリガリからヒトラーへ』」)。もし、この論文(それ自体はクラカウアー批判を目的とするものではない)を先に読んでいたとしたら、私たちはクラカウアーにここまで紙幅を割かなかったかもしれない。もともと彼の書いたものは映画論とは言い難く、政治的主張だけでは自立できない(友人だったと言われるベンヤミンの文学的才気もアドルノの理論性も持たない)物書きが、映画をネタに(植民地化して)、うらみつらみと功名心から、世渡りのために反ナチ的意図をあらわにした、それこそ単純に時代の反映であったのだろう。とはいえ、『カリガリ博士』についてはいまだにそれを鵜呑みにした、時代背景を考えるとよくわかるといったたぐいのコピペが氾濫しているのだから、また、テーマは違えどクラカウアーを知らずして反復している頭の悪い著作があとを絶たないのだから、ショボい左翼親爺とわかっても叩いておく意味はあるだろう。

☆23 ウィキペディア日本語版「精神分析学」の項目にその一形態が見られる。

参照文献

Freud, Sigmund “On Psychopathology”, The Pelican Freud Library vol.10 1972[『フロイト著作集』6]
Marshall, Gail “Victorian Fiction”, Arnold Publication 2002
Russo, Vito “The Celluloid Closet: Homosexuality in the Movies”, Harper & Row 1981
Showalter, Elaine “Sexual Anarchy: Gender and Culture at Fin de Siecle”, Penguin Books 1990/エレイン・ショウォールター『性のアナーキー―世紀末のジェンダーと文化』富山、永富、上野、坂梨訳、みすず書房 2000年
明石正紀『フリッツ・ラングまたは伯林[ベルリン]=聖林[ハリウッド]』アルファベータ 2002年
荒俣宏『ホラー小説講義』角川書店 1999年
海野弘「暗箱のなかの都市―ベルリン・一九二〇年代」『カイエ』四月号所収、冬樹社 1979年
海野弘『ホモセクシャルの世界史』文春文庫 2006年
荻野雄「クラカウアーの『カリガリからヒトラーへ』」(1)(2)京都教育大学紀要No.111 2007年
 http://lib1.kyokyo-u.ac.jp/kiyou/kiyoupdf/no111/bkue11102.pdf
 http://lib1.kyokyo-u.ac.jp/kiyou/kiyoupdf/no111/bkue11103.pdf
ジークフリート・クラカウアー『カリガリからヒトラーへ』丸尾定訳、みすず書房 1995年
サラ・コフマン『芸術の幼年期―フロイト美学の一考察』赤羽研三訳、水声社 1994年
識名章喜「オリンピアとマリア」巽孝之・荻野アンナ編『人造美女は可能か?』所収、慶應義塾大学出版会 2006年
澁澤龍彦『幻想の画廊から』美術出版社 1967年
澁澤龍彦『思考の紋章学』河出書房新社 1977年
『澁澤龍彦集成』7「文明論・芸術論」桃源社 1970年
ブラム・ストーカー『ドラキュラ』[完訳詳注版]新妻昭彦・丹治愛訳+注釈 水声社 2000年
ブラム・ストーカー「ドラキュラの客」桂千穂訳、須永朝彦編『書物の王国12 吸血鬼』所収、国書刊行会 1998年
瀬川裕司『ナチ娯楽映画の世界』平凡社 2000年
田中雄次『ワイマール映画研究―ドイツ国民映画の展開と変容』熊本出版文化会館 2008年
種村季弘『怪物のユートピア』西澤書店 1974年
種村季弘「鉱物の花嫁」『ユリイカ』総特集 オカルティズム 1974年7月増刊号[『怪物の解剖学』所収]
種村季弘『失楽園測量地図』イザラ書房 1974年
ザビーネ・ハーケ『ドイツ映画』山本佳樹訳、鳥影社 2010年
フロイト「精神分析入門」『世界の名著』60、懸田克躬訳、中央公論社 1978年
『フロイト著作集』3「文化・芸術論」高橋義孝他訳、人文書院 1969年
『フロイト著作集』5「性欲論 症例研究」懸田・高橋他訳、人文書院 1969年
『フロイト著作集』6「自我論・不安本能論」井村・小此木他訳、人文書院 1980年
『フロイト著作集』9「技法・症例編」小此木圭吾訳、人文書院 1983年
ホフマン フロイト『砂男 無気味なもの』種村季弘訳、河出文庫 1995年 
マックス・ミルネール『ファンタスマゴリア―光学と幻想文学』川口・篠崎・森永訳、ありな書房 1994年
エドガール・モラン『映画―想像のなかの人間』杉山光信訳、みすず書房 1980年
M・G・ルイス『マンク』上・下巻、井上一夫訳、国書刊行会 1976年
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初出:Web評論誌「コーラ」13号(2011.04.15)
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